やなまろのほのぼの日記

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仕事というものは・・・整理整頓

仕事というものは突き詰めれば整理整頓である。物の整理と情報の整理である。物を集め・動かし組み立てる、あるいは情報を取捨選択し・加工し保存することである。突き詰めれば単純作業であるからこそ人間がやることだから当然にミスはある。100%完璧はない。作業量が多ければミスの発生頻度も多くなる。
私は自分で完ぺき主義だとわかっている。人がもう十分だと思っても自分はさらに洗練さを求める。私にとっては超適当が世間では丁度よいレベルらしい。私の超適当を人は完璧だという。でも超適当でないとやっていられない面もある。常に完璧を求めては精神的にいつかやられる。
先日、仕事でミスをした。自分でも信じられないイージーミス・ケアレスミスだ。”1”と入力するところを”2”と入力してしまった。そのことに入力時も確認リストでも他者の確認でも誰も気づかなかった。自分が入力ミスをするわけないというおごり、当たり前のことなのでチェックするまでもないというすり抜け、彼が間違えるはずがない彼に任せとけばいいやという信頼というかたかくくりというか面倒なことからの他者の逃げからであった。膨大な作業量がある中でいつかは失敗をすると予感していた。失敗発生率が限りなく0%に近い0.000・・・%だとしても分母が大きければ分子の出現は大きくなる。こんな膨大な仕事量を担当してるのだからたまには失敗して周りに知らしめてやるくらいの気持ちもあった。しかし面白いことに失敗してはならいない事象にどういうわけか失敗が的中するものだ。見えない圧力・無意識レベル・意識過剰レベルのどちらかで完璧なまでのルーチンに誤作動が生じたのだろう。
しかし、この失敗を幸運と受け止めよう。失敗があるからこそまた新鮮な気持ちになれる。失敗は成功の始まり、失敗は同じ失敗の再発防止になる。このような失敗がないといつか失敗するというプレッシャーにやられ身動きがとれなくなってしまう。仕事は慣れから非人間的な無意識な機械的オペレーションになりがちであり、それはいずれ重大な失敗へと発展することもある。失敗したことにより周囲のチェック体制も強化リフレッシュされることだろう。
ミスの根本原因はわかっている。今までチェックしていた項目がいつの間にか、慣れや重要性の低さ、時間的制約からノーチェックとなっていた。このことについて他者からは何の疑問も問合せもなかった。なぜなら自分だけの極個人的な作業工程だったからである。起きるべくして起きたミスであった。自分に責任がないとは言えないが、今の環境・状況下では仕方がないミスであると思っている。仕事のやり方、ことにグループワークに問題がなかったかは再考の余地があったのかもしれない。再考するには、組織と個人、業務マネジメントという非常にミクロな世界での解剖が必要である。