やなまろのほのぼの日記

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今日の想い(異動内示)

異動に対して一喜一憂しすぎる。暇なんだろうな。皆同じことを言う。もう長いから異動だろうな、でもこれといって行きたいところはないんだよな。異動希望にはどちらでもよいなんて書くから異動要員(穴を埋めるだけの駒)になるんだ。俺はいつでも異動できる用意はできている。今の担当の仕事は2年を経過しすでに完結している。基本部分は抑えたので今後はその上部の加算積み上げしていくのみだ。人事が変わり新しい風が吹き仕事内容や流れも変わることを期待したが何も変わらないだろう。この先一年が見えてしまった。法令・制度に基づいた事務しかできないのでこれ以下の仕事でもなくこれ以上の仕事でもない。制度で決まっていることはやらなければならないし、逆に制度から逸脱したことはやたらできない。マネジメントこそ醍醐味だ。しかし、現状のままでは俺はずっと過酷な事務処理をやるだけだ。新しいことなどやりたいことができる余裕などない。常に100%だ、やるべきことやらなければならないことは常にしている。とにかく100%だ。これ以上何をやれという。何もできない。日々月々年度の繰り返し事務に見切りをつけてしまったぜ。


従量制給与加算。課長はいつも俺は大変なところに回されて損ばかりしていると言っていた。それ相応の人ということだが、個人的能力・経験年数・年齢を加味して判断したとしても3人や5人の職員構成の部署と20数人の部署の課長とでは業務量・責任量・人間関係調整量ともに負荷が違いすぎる。人より余計に給料をもらっても誰も文句を言わないと思う。20人の部署の課長に辞令が出る前に余計に給料だすから頼むよとでも話があったのかと聞きたい。あるわけないなこのど阿呆公務員人事。能力・適性・資格・専門性に応じた人員配置と言いながらめちゃくちゃだ。


言い訳と理由は違う。言い訳する時はたいがい自分にも非がある。ゆえに謝らなければならない。しかし、自分のことは棚に上げ、誤らずに他人のせいにしたりする。これが言い訳だ。理由は違う。自分はベストを尽くした、やるべきことをやれるだけやった。しかし、結果はこうなった、誰がどう考えても自分に非はない。自分には関与できない大きな力が動いてそうなった。これが理由だ。謝る必要はないが残念だったと相手の気持ちを思いやることは必要だ。下手に謝ったら自分に非があったことを認めることになるのだが崇高な人は非が全くないなどとは到底思っていない。とりあえず謝る。一番恥ずべき行為だ。