人が動くということ
人は基本的に言葉でいくら説明しても解らないし動かない。
子供にいくら"あれしなさいこれしなさい早くしなさい”と言っても
ぜんぜん聞いてないし理解できないし動かない。大人も同じだ。
言葉では”わかりましたすぐやります”と言っても実際はやらない。
自分がやりたいと思わなければ動かない。結局は自己中心だからだ。
どんなに頭でわかっていても面倒くさいと自分が想えば、やらない。
人が動くのは感動した時だけだ。心が震えたときにだけ行動が起きる。
どんなに自分が苦しく困難で窮地に立っていたとしても、やる時はやる。
逆に言うといくら必要で理屈を並べて説得しても、やらない時はやらない。
人間も含めた生物はすべて自己中心だからだ。
しかし人は自己中心だけでは生きていけない。
子供にそう教えるのが親や先生であるべきだ。
しかしその親や先生も自己中心である。
親は自分の都合で子供が言うとおりいい子に行動することを強制する。
先生は生徒が問題を起こさず従順で自分の身が安泰であることを願っている。
このように大人は己中心主義で子供を屈服させ言うとおりにさせる。
子供は理不尽な力が勝つという大人の不合理さを学ぶ。
子供のけんかに物の取り合いがある。まさしく自己中心のぶつかりあいである。
そんなとき子供に協調することをどのようにして教えるべきだろうか。
言葉でいくら”けんかはだめ仲良くしなさい”と説明しても解るわけがない。
子供にけんかをさせてその中で自ら学び協調することを覚えさせるしかない。
子供同士なら権威とか力で押さえつけるという装置が働きにくい。
ひねくれた協調が身についている大人が子供に協調を教えることなどできない。
子供同士で自然に人間関係を学んでいくのをそっと見守ることしかできない。
そのことをしっかりと肝に命ずるべきだ。
そう考えると大人はやっかいだ。表面上の言葉や表情は偽ることができる。
心に話しかけないと理解されないし動かないのだけどその心を隠している。
人を動かすことはできないが人は何かのきっかけで自分で動くことがある。